覚え書き

清水恵み

鯨に関わる行為

 新聞で以下の記事を見た。

「ザトウクジラはエサの乏しい繁殖期をほぼ絶食して過ごすため、アラスカでの摂食が生息のカギを握っている。

2年前からアラスカで異変が現れているらしい。それまで沖を支配するかのように埋め尽くしていた1000頭近いクジラたちが、突然0になってしまったそうだ。

研究者によるとその原因はブロブと呼ばれる熱波であることがわかった。ブロブがもたらす海水温の上昇により、それまで沖に生息していたオキアミがいなくなったため、クジラたちもオキアミを求めて別の海域に移動したというのだ。ブロブは5年以上前から発生しており、その影響からアラスカに置けるザトウクジラの数は減少傾向にあり、骨が浮き出るまで痩せ細ったクジラの姿も確認されていると言う。

ブロブはその後収束したものの、昨年秋には再発生が確認されている 。」

文章:松本紀生(写真家)2020年1月18日土曜日毎日新聞夕刊 より

 

 大きな動物には、見るだけでその崇高に打たれるもの凄さがある。

 

  嘴を切られ、日の射さない部屋で足を弱め地面にへたったまま育てられたり蹴られたり死んだりするブロイラーや、狂牛病で要らないとされ生きたまま巨大なミキサーにかけられていく牛、生け捕りにされ背びれを切り取られ殺されもせず海に放り投げられ泳ぐこともできず従って息もできず海底へきりもみしながら沈んでいくしかなかったサメ。クジラのニュースを見て、身体に溜まっていたこれらの悲しみが表に噴き出した。

 生活は襲い掛かってくる。生きる矛盾はあるがこの凄まじさは何だろう。この矛盾に蓋をして、日々を笑ったり子供に教えたりパフォーマンスをしたり絵を書いたりするのが無理になる。ミズドリやサメを、安楽死させられる犬をコウモリをザトウクジラのことを体の片隅に追いやって、アートとか言ったり自動販売機でジュースを飲んだり電車に乗ったり外食したり銭湯行ったりお金を稼いだり毎月の支出と収入を計算したりすることが無理になった。

何かの折に、ただ立って体を調節し、空間に意識を自分ではない所まで落とし込んだり飛ばしたり癖が私にはある。この時は 意識を遠い鯨まで繋がっていくように願いながらそれをした(要するに念を飛ばした)、意識は身体を抜けて、身体は無防備になる。次の日にインフルエンザにかかった。

 

 ここは恐ろしい場所だ。コンマ1秒で同情なんてものは忘れ去る時間が流れていて、さらに美しくラッピングまでされている。

そして今のところ私はここで生活をしている。

 

 熱にうなされている間に考えた。身体の奥底にザトウクジラを追いやりたくない。

現実私はここに生活しているが、同時に日常でも私の体の一番メインにザトウクジラがいるようにしたい。

 

 飢えているのなら私も飢えなくてはと思い、初めは絶食しようと思った。そして偶然に私の目の前にエビが現れるまでその絶食を続けようと思った。でもそれでは極端すぎる。非日常になる。

現実には長く続いているだろう彼らの戦いとは質の違うものになると思い、もっと長く続けられる物に変えることにした。

 

 非日常ではダメだ。日常に私の体のメインのところにザトウクジラ達がいるようにしたい。決めたのは必要最低限の食料を摂取し、生きながらえる状態で日常生活を送り、なるべく長い時間飢えている状況をキープすることだ。お腹が空いている状況を体に感じさせ、その飢えている感覚が私にクジラを思い出させるようにする。

 ファスティングはその目的から外れるため、案として却下される。絶食を続けると体内浄化され、飢えの感覚から離れていく。自分がケの状態で常に鯨たちを想像するため、生存に最低限の食料だけを食べ、空きっ腹を感じさせるようにする。

 これを計量し、カロリー計算してデータで見せる事も可能だろう。でも私はこの部分を自分の身体感覚に頼りたい。暖かかったり寒かったり、雨が降ったり、仕事にストレスがかかったりして、一日に必要な食べ物の量は計算したカロリーとは違うはず。

 

 クジラは餌を食べる時にオキアミを大きな口で吸い込んで食べる。イワシなどを食べる時は水面までバブルネットフィーディングで餌を水面まで追い上げ、水面近くで 口を大きくあけ、海水ごと口の中に餌を入れる。水面に浮遊している漂流していたプラスチックも同時にクジラの口に入り、消化されることなく胃に溜まっていく。

死体は沈まず、腐って腹が破れその浮力から放たれるまで海上を漂流するだろう。

動物達の、「満腹なのに満たされない飢え」は、私達のアイロニーでもある。

 

 ザトウクジラの飢えを想像し、ここで自らの飢えを継続して作り出し、シンパシーの波長で二つの現場の距離感を縮めようとする行為は無駄ではないと思う。

「満腹なのに満たされない飢え」の世界から脱出しようと日々試す方法だからだ。